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始まる

静かに空間に溶け込んでいると、ここ数日周波数が変わってきているのを感じます。 いよいよ、ミロク(369)の世の始まりを感じぜずにはいられません。 全ての魂も肉体も森羅万象も天意(愛)と悦びと祝福と感謝と共にイキイキと命を輝かせている世界、 そんな世界が未来永劫続く-----早く見たい!体験したい!分かち合いたい! そう、すべてと。

間に合う

『間に合う』と言われると、電車か何か 時間に間に合ったことを想像します。 もちろん、そういったタイミングが合うと いうのは大切ですが、間に合わないことも 全くOk!にしてはどうでしょう。 起こることは、全て『愛』です。 必要があって起こるのだから、そのときを楽しめば いいのです。 『間』というと、空間です。 音の無いところに意識を向けると、鳥のさえずり、 車の音、そして空間のすーという音が聞こえて来ます。 誰かと話していた時も、言葉の発せられる間に意識 を置いて見ましょう。 言外の相手の心を感じ取ることが出来るかもしれません。 音なき間は、雄弁です。 あなたに、色々な気づきを提供してくれるかもしれません。 庭に小鳥が降り立つ姿を目にするかもしれません。 いつもの景色が新鮮に見えるかもしれません。 こんなトンボもとまっているのね、と見つけるかもしれません。 新たな出会いがあるかもしれません。 ゆったりと呼吸しながら、ゆるんでいるとあなたの『間に合った』一期一会を受け取ることがあるかも しれません。 ここは、無限に広がる宇宙なのです。

何が起きても

何が起きても一切疑うな!と今朝、瞑想を していると感じました。 意味のないことは、起きないからだそうです。 これからは、宇宙への全面的な信頼が重要 になります。 流れに向かって導かれた方向に向かうということ。 もちろん、光の柱を立てて、つながった上です。 さあ、今日もイザ!と参りましょう✨

水の働き

昨日は凄い雨が降り、増水し、被害も あったようです。 私も避難の準備をしつつ、身体は調子が 優れず、グラグラしていました。 身体の痛みに 『出て来てくれてありがとう』と祝って 身体のしたいように、横になっていました。 どんなことも出て来てくれたら、1回で 終わる というのが宇宙の法則です。 出て来てくれた諸々の痛みは、長い間 私を悩ませていたものでしたが、 夕方には、全てスッキリして元気になって いました。 『ああ、この雨の水の流れが、私を含め、この 空間の古いものを全て浄化してくれたのね✨』 と感謝の思いが湧いてきました。 身体はこの空間と同じ光ですから、固定された ものなどないのです。 毎旬、現れては消え、を繰返し、そして 阻まない限り、進化変容していきます。 水は浄化と叡知の働きを持っています。 私たちの体内空間も水です。

2つのイノリ

原初 真っ暗な満ち足りた空間だけが無限に 広がっています。  『私』という意識だけがありました。  満足してはいるものの、シーンと静まり 返って 一切の動きはありません。  『私』意識は、ある時、『私って何?』 と疑問を持ったのです。   巻いて巻いて、ビッグバンが起こりました。  2点が出来て創造行為が始まります。  その時、源は 『全てが、未来永劫栄えあれ!』 と祈りを放ったのです。 その祈りのエネルギー(天意)は今も降り注い で、万物を育んでいます。   祈ってもらっているのです。  そして、私たちも創造主と全く同じものをいた だいて 地上に降り立ったのです。  いつから全体への祈りを忘れて、自我の願いに 変わっ てしまったのでしょう?  全体とは、ご自分も含めた全てです。  神我としてのイノリです。  『全ての魂と肉体の弥栄と変容進化、神業成就』  そしてもうひとつのイノリはご自分の決意表明  としての意を宣る、ことです。  『喜びと感謝と共に、生きます』  『中心の愛に添って生きます』  本質の意図です。

主体性を持って

この度の感染症のことで、目覚めた方も おられるでしょうが、ただ、ただ眠った 状態で右往左往していても何の意味もないのです。 他者の力だけに依存して、安心を得ようとしても所詮無理なのです。 何故なら、ご自分の内側を外に見ているだけだから。 ススキが風になびいても怖くなるのと同じこと。 ご自分の健康管理をきちんとした上で、自己責任で 動く、主体性を持った生き方をして参りましょう!

孤独について

スピリチュアルの勉強を始めた頃、他者と話をしても上面の雑音のような会話しか出来ない自分 に気づくことが多かったです。 「まこと」のことを放つことの出来ない自分への嫌悪とこれまでの人間関係から出ることの孤独感は、 とても大きかったと感じます。 その気づきを受け取ったことは、「宝」なのだから、そこから逃げずに取り組んで徐々に進化してきたように思います。 師いわく、孤独を感じるのは「感謝が足りないから」と、ご自分の経験を話してくれたことがあります。 言われたときは、意味もよくわかりませんでした。 「~しなければならない。」            「~してはならない。」 古いプログラムには、根気よく向かい合い 手放しをその都度していくことの中で、依存の人間関係の整理をしていくことになりました。 今もそれはやり続けています。 家族についても同様です。 「夫だから~。」「妻だから~。」「子供だから~。」 精神的な意味での自立した関係性を創り直すということ。 当然、個人を抱えていては出来ることではないので、 天地の力を授かり直した上で 「一旦これまでの関係性を切って、天意(愛)を通じてつながり直す」と意図します。 そして、どなたと話すときも、相手の光に向かって放つようにしています。 今は、以前のような人間関係から出て、一人あることが多くても寂しさはなくなりました。 なぜなら、空間に抱かれている感覚、庭に出れば、木や石たちがことばなき、言葉を放ち、 見つめられている、そんな感覚を受け取ります。   師が「感謝が足りないからです。」と教えてくれたことが、今、よくわかります。 心からの感謝が起きるとき、私も光、見える全てが光ですから、光どうしが会話し始めるのです。 同調する、共振するということ。だって、すべては波動なのですから。 それから、もう一つ 師曰く、 「虚空をよすがとして生きなさい。」 かけがえのないプレゼントをいただいたと感じました。 みなさまも、どうぞ、ご自分の最奥に控えてすべてを見守ってくれている、創造の源を道しるべとして いのち輝かせて生きましょう。

伸びやかに

創造主は、ゼロポイントと反射ポイント を創りました。 創造行為のために。 気と実です。 あの世とこの世。 しかも別の処に存在するのでもなく、 重ね合わせにあります。 空間が呼吸して、起こる。 拡散と凝集、再生と崩壊を毎瞬繰返し、 進化変容しています。 変わっていくことを恐れないでください。 変化こそ、進化していることだから。 あなたの古い概念は、喜んで手放せば いいのです。 過去への執着は、飛び立つには、不用です。 祝って、感謝とともにお別れしましょう。 あなたは、ただ、ただ 伸びやかに、伸びやかに呼吸し、 意識を今、ここに在れば、自ずと源が顔 を出します。

人間意識からの卒業

私たちは、全てを創造している源と 全く同じ意識(魂)と肉体を頂いています。 時々人間意識に戻り、時々創造主の意識に 返ることは出来ません! 山登りをしながら、海に潜れないのと同じです。 ここは、始めから神界、 なのに、私たちの意識が勝手に デセッションして、幽界のようなものを 観察していました。 それでも源は、気の遠くなるときを 待ち続けてくれています。 もう、迷わず神界に戻り、高天ヶ原を 創造してまいりましょう! 山河動植物、鉱物、機械も神型生命体も 全てが、未来永劫、永遠無限に栄え行く 空間をみんなで開いてまいりましょう!

真(まこと)

真(宇宙の真理)のこと、創造の根源のことです。 魂も肉体も光の流動の双方向のこと。 再生と崩壊。 創造の源から、光が放たれ、地に結び、肉体と なって見える。 光の波が形となり、また消える。 目にも止まらぬスピードで繰り返されている 創造行為! そこにあがなうことなく、『弥栄』の意図、イノリ をし続ける。 もう、目を覚ます覚悟のときです。 わかっている方は、学びを実践に変えるときです。

いよいよ

いよいよ、567(コロナ)から369(ミロク) となる気配を感じます。 古い思考を手放し、流れに乗りましょう! ドンドン、スピーディになっています。 現実化するのが。 創造主としての責任を持って、 意図を放ってください。 そして、歓びとともに受け取ってください。 全体へのイノリとともに。

ジャッジ

あなたが誰かにジャッジされた時 あなたもその相手をジャッジしています。 そして、あなたが相手にジャッジさせたのです。 私たちは創造主です。 自分の現実が他の誰かによって創られることは ありません。 いつか、あなたが放ったエネルギーが帰ってきた だけです。 ジャッジする側もされる側も同じです。 波動もさがる。 そんな時は、祝いましょう! 『出て来てくれて、ありがとう!』 『素晴らしいね!』と。 けして、相手のことも自分のことも 責めないで、受け入れて祝福すればいい! 部分否定は全否定であると知っていましたか? 例えば、『赤が嫌い』と言ってしまえば、 『あらゆる赤を嫌うこと』になるのです。 中心の愛に立つ時、全てを愛してるしか 思い当たらないのです。

土地の持つエネルギー

ひと頃 『イヤシロ地』、『ケガレ地』と いう言葉で土地の持つエネルギーについて 表現していたことを思い出しました。 ケガレとは、気が枯れているという 意味なのです。 土地にも記憶として残るエネルギ-があります。 それを祝福し、昇華させることです。 昨日、廃校となった小学校を学びの場として 生き返らせて活動している方にお会いしました。 その学舎にも行ってきました。 そこは、山里の集落にあります。 雪深く厳しい環境の中で暮らしを立ててきた住民に とって、その場所は懐かしくもあり、落ち着く場所では あっても、保存し、生かしていくゆとりはなかったでしょう。 その場を生かそうと覚悟して、10数年行政や住民と向かい 合い、一人掃除をし続け、建物や土地と会話してきた彼は 〚この空間を学びの場として残したい〛と語ってくれました。 無私の愛を受け取って、建物も土地もイキイキと歓びを放っていました。 家でも、 勤める場所でも、 旅行するところでも、 ご自分が活動する土地、建物に 感謝と祝福を送らせていただくと 必ず、返って来ます。 歓びとなって、ご縁となって。 その土地で生まれた方にとって、その土地で出来た作物が身体を 育むというのは、同じ土(産土)から生まれたからに他なりません。

導かれる方向へ

意識を中心に置いていると、 導かれていることを感じます。 例えば、行こうとしていたのに キャンセルせざるを得なかったとしても その後、必ずあなたの意識に登ってくる ような出来事があります。 TVやチラシ、本だったり、誰かのお誘いだったり その時は、中心に立って決めてね。 導かれているのは、その時のテーマ、 そしてクリアするまで何度も起きて 働きかけてくれる、 なんと有り難い宇宙の采配なのでしょう✨

場を祝う

私たちは空間存在です。 エネルギーです。 特定の物質としての自分があるわけではありません。 毎旬毎旬、自分も含めて、波動に合った流動する光のダンスを 観察して、味わって楽しんでいます。 時空間を開いています。 どの空間場も自分が開いた「場」ですから、 感謝し、 祝福し、 悦びましょう。 そして、体験し、味わい尽くしたら、毎日虚空へ帰しましょう。 開いた場を閉じるということです。 未練なく閉じて、また新たに空間を開くということです。 いつも同じように見える景色も部屋も毎旬、毎日新たになっているのです。 その一つ一つが存在してくれることに感謝し、楽しみましょう。 そして、全ての命が伸びやかに、発展進化していくことを祈ります。

丹力

30年位前 『女は胆力』というタイトルの本を読んだことをフッと思い出しました。 詳しい内容は覚えていませんが、昭和40年代だったか、ある女性が 政治家を目指し、そして全体の為に活動を起こしていくようなお話だったように思います。 その中に「頭ではなく、肚で考えよ」という言葉がありました。 当時は、何を言われているのか、うっすらとは感じられましたが 今ならハッキリとわかるように思います。 もし頭を使って思考したとしても、それはどこまでも過去の経験の産物であって、 何も新しい気づきは起こりません。 それだけでなく、グルグルと終わりのない迷路(ゴルディオスの結び目)にハマるだけです。 それこそ、思考を断つことでしか、前進できません。 何かを行動しようと感じたら、 それが自我からくるのか、本質から湧いてくるのか、頭を使って分析しないことです。 静かに目を閉じて まず、上丹田、中丹田、下丹田と降ろしてみましょう。 そのまま、消えるのであれば、それだけのことです。 肚にある、のなら、「やる」と覚悟を決めて、行動して見ればいいのです。 上手くいっても、いかなくてもかまいません。 何故なら、それは必ず、これから生きてくる経験になるからです。 丹も胆も肚も一様に『覚悟』を示しています。 神道では「荒魂」ともいい、実行する行動力です。 自立し、何があっても全体の為にやる(行動する)という覚悟のことです。 宇宙の理に叶っていれば、 あなたが肚をくくるとき、外が如何なる状況にあっても、それは現実化するのです。

調和する-2

以前、日月神事(岡本天明 氏)という啓示を読みました。 「悪を殺そうとする思いこそ、悪であるぞ。悪を抱き参らせよ。」 ハッキリとした文言は忘れましたが、そのような言葉だったと感じます。 そもそも、善悪など宇宙の法則にはありません。 そして、悪をなくそうと戦うことさえも 陰陽で成り立っているエネルギ-の世界では、偏りです。 中心の愛の立ち位置に戻りましょう。 私たちは、どのようなことも 「どう見成すか」の自由を与えられています。 そして、「いかようにも変容させていく能力」を与えられています。 創造主の目線に立ち、無限に進化発展していきましょう。 そう、外を変えようとするのではなく、 あなたの内側を変えていけばいいだけです。 生きる悦びを放つだけです。

調和する

あなたは、好き嫌いはありますか? それが悪いのではありません。 でも、不思議でしょ! あなたが創造主で全てを創ったなら 全部好き! 全部愛してる!のではありませんか? プログラムに過ぎません。 過去に創ってしまったプログラムです。 創ったのなら、外すことも出来るはず! 創造主の意識に立ち返り、 全部好き!を思い出してはどうかしら~😊 苦手意識もそうです。 1つ1つ丁寧に向かい合って、 どんな物も どんなことも 『愛してる!』と調和していくと 現実は廻り、 些細な事にも 小さな物の中にも 命の歓びが感じられるのです。

愛を込めるということ

朝、天地とつながり、光の柱を立てます。 どんな些細なことでも 『愛を込めて動く』と その場が輝きを放ちます。 例えば、 朝ごはんの支度、 味噌汁を作るとき、 『おいしくな~れ』と作る。 豆腐を切って入れる。 例えば、 掃除をするときするとき、 テーブルに、椅子に その場に感謝を込める。 愛を込める。 感謝を込める。 喜びを込める。 祝福を込める。 愛は愛情ではありません。似て非なるものです。 いのちの輝きへの慈しみです。 愛を込めて動くとき、 あなたは『今、ここ』 にあり。 至福と共にあり。 至福を授かります。

朝、起きたら

朝、起きたら、 まず自分で自分のエネルギーを浴びてみて。 感じてみて!   どう?   爽やかな『すー』という感じのエネルギーかしら?   そう~!  神社の参道を歩いているときの 澄みきりの感じ。 それとも、雑音👂️⚡️が聴こえている?  もし、そうでも ok!しちゃいましょ。 自我ちゃんは、気にせず、脇に置いて あなた本来のエネルギーを思い出せば いいのです。 静かなひとりの空間で 深く深呼吸してみましょう✨ ほら、あなたの心地よいエネルギーが 戻ってきた😃。 ではまたね✨          

あきらめる

あなたはいない。 人などいない。 私、というこの存在している感覚こそ この意識こそ、虚空、神。創造主。 今、ここに意識がある時 中心の愛にある時 神性のみが流れている。 あきらめること、何かになろうとするのを。 個人を肥大化しても変容進化することはない。 ただ、ただ大元の意識に立ち返る。 神のまにまに。

感謝が起こる時

感謝が起こる時、不満や不足や恐れは起こらない。 同時に存在することは出来ないのです。 悦びと悲しみは一緒に感じられますか? あなたの傍にあるものは、みな授かったもの。 あなたはお金を払ったから、当然と思うかもしれないけれど 全部、ギフトでしかありません。 以前、『まっかなトマト』という絵本がありましたが、 ご存じの方もおられると思います。 主人公の少女が高校を卒業し、山間の実家から憧れの都会に 就職します。 夢ノ-トに自分が欲しいものや、やりたいことを書いていく。 キャリアウ-マンやお洒落な暮らしに憧れが広がります。 しかし、都会の暮らしや会社は、彼女が思い描いたものとは、全く違っていました。 そして、気づきます。 電気が点くのも水が出るのも、今着ている服もこのテ-ブルも椅子も全部知らない誰かがつくってくれたものだったことに。 道路も電車も世の中全部、たくさんの〚お陰さま〛で成り立っていることに。 今、生きて存在出来ていることへの感謝、 気づきを受け取ったことへの感謝、 全ての存在への感謝が起こる時 あなたの内なる空間は、喜びで満ち溢れ、 不足も不満も恐れも入る余地はありません。 7/11、7/12、7/13は、お休みです。

信頼ということ

あなたが目にする全て、あらゆる物も事も森羅万象を信頼していますか? もちろん、あなた自身をも。 「なぜ?」って、すべてあなたが創造したのですから。 例え、エゴで創ってしまった体験であったとしても、やってみなければ分からなかった。 「すばらしいね!」「よくぞ、そこまでやった~!」と、中心の愛に立ち返り、祝福してはどうかしら? どんなことが起きたとしても、必要のないことは起こらない。そして、起こしたのは、無意識であった としてもあなたであり、私であり、創造の源です。  命のめぐりです。命の滞りです。 すべての現象、すべてのもの、人型生命体、ウィルス、動植物、鉱物、などなどと、 もう戦う意識はやめましょう。 戦おうとすれば、するほどエネルギ-が縮み、恐怖へと化けてしまう。 すべてと和合し、受け入れて、伸びやかに全体調和していく意識で生きればいい。 じゃあ、どうしたらいいの? まず、あなたの内側を緩めてみましょう。 呼吸に意識を向けましょう。 吸うとき、身体のところどころを通る感覚に気づいていますか? 吐くとき、肚が、空っぽになりましたか? 無意識にしていた呼吸があなたの意識と身体に大きく影響を与えています。 呼吸に意識的になってはどうかしら? それは、瞑想でもいい、一人になれる静かなところで、自分と向き合います。 内に何をかかえているか、恐れないで見ましょう。 空間に意識を置いてみましょう。静かさを楽しみましょう。 時折、様々な思考や感情が沸いてきても、気にせず「出てきてくれてありがとう!」 と祝福と感謝を贈るだけです。 この空間に流ている情報をキャッチしただけ、自分のものではない、と分別すればいいのです。 もし、消えてくれないものに捕まりそうになっても、一体化しないことです。 創造の源に立ち返って、愛を授かり直して、何度も愛の光で溶かしましょう。 「愛しているよ!」 「許しましょう。」 「大丈夫だよ。」 すべては受け入れられ、中心の愛に帰ることを望んでいるエネルギ-なのです。 あなたの内なる状態が現実を創造しています。 すべてを信頼のエネルギーで満たし、 愛の呼吸で満たしましょう。

始まりの物語-その3

ゼロポイントとは、「虚空」の目覚めた意識のことです。 「私」という自覚、眠っていない明瞭な意識のことです。 過去のデ-タが一切持ち込まれていない、純粋で透明な宇宙意識のことです。 宇宙のはじめにあった「たった一つのもの」とは、この「私」という意識だけでした。 「空/虚空」の中でゼロポイントという私意識が目覚め、反射ポイントという別のポイントを双子のように創り出しました。(これが聖なる二分法です。) ゼロポイントが反射ポイントを創ったおかげで、この2点のあいだに「時空間」が初めて出来上がったのです。これが時間の誕生です。 ゼロポイントは、万物の「光源」で、あらゆる現実(時空間)を創造していこうとする愛の意志をもっています。 それは、同時に創造した時空間の中で、具体的にその内容をていねいに経験し、観察したい、という意志をも併せ持っているからです。 創造と経験への意志が生まれ、光が生じて、躍動しつつ創造を始めるわけです。 あなたという生命体も宇宙の全てが誕生して創造されていきました。 このように私たちの生命の仕組み、新陳代謝の仕組み、現実が創られる仕組みを知って初めて「生と死」の仕組みを知ったことになるのです。 そして、「生と死」は一直線上にあるものではなく、毎旬毎旬繰り返される「崩壊と再生」に他ならないのです。

始まりの物語-その2

精神世界について枝葉をお伝えしても、根幹となるところが 伝わらないと、一時的な癒しに過ぎないので、本質をお伝えします。 先日の「始まりの物語-その1」は、赤ちゃんがお休みするときに聞く ような仕立てでしたが、今日はさらに学んだ内容をお伝えします。 いまでは、多くの方がご存じかもしれませんが、大切な内容です。 ハ-トで読んでいただければ、うれしいです。 「空/虚空」とは全てのものが生じる無限大の闇の広がりのことです。 あらゆる全てがエネルギ-として無限にあつて、何も欠けていないために、実に満足しています。 満足したままですから、動きや活動が一切何も起こらず、完全に静まり返った状態の意識です。 実際の宇宙空間も何もかもが創造される前の状態です。 ビッグバンによって、まずプラズマ状の素粒子(量子・光子)すなわち光が生まれるのです。 光が生じる点をゼロポイントと言います。                        これが宇宙の全創造の原点です。 見えるものも、見えないものも、全てがこの真空のゼロポイントから創造され、今も創造され続けています。 そして、このゼロポイントが「私意識」の立ち上がっているポイントなのです。 〇〇さんの「私」という意識も、あなたの「私」という意識もみな一なる宇宙のゼロポイントから立ち上がっているのです。 凄くないですか! 私たち全員、宇宙のゼロポイントと全く同じ「私意識」をいただいているわけです。 しかし、残念ながら宇宙の中心の愛からずれた個人的なエゴを「私」だと思い込んでいる方がほとんどなのです。 プログラムの寄せ集めのガラクタが内なる空間をスモッグのように見えなくしています。 このゼロポイントは、私たちの体内の最も深いところで息づいています。 私たちの呼吸こそがゼロポイントからの「光の出し入れ」、ことばを変えれば、創造の源からのエネルギ-であり、叡智が送られてきて、空間場に放出しているのです。 要は、ゼロポイントが呼吸をしているのです。 はっきり言って、個人的なあなたも私もいません。 続きは、明日また・・・。

あなたの視点

何かが現実化した時、 しかもそれが思っていたことではなかった時 あなたは、そこを問題視していませんか? どのような現実もただ、ただ陰陽の宇宙のバランスで起きているだけ。 問題視をしてしまうから、本当に問題となってしまうのです。 まず、ご自分の波動は落ちていませんか? 波動を本来の波動に保つことが、あなたの責任です。 起こったことは起こったこととして、受け入れて 中心の愛の目線、創造の源の全体、全一の目線に戻ることです。 観察者の意識に立つこと、体験を俯瞰することです。 いろいろ思考が沸いてきたとしても、気にせず、 「出てきてくれて、ありがとう!」「すばらしいね!」と祝福し、感謝の思いで満たしては どうかしら? 宇宙は同じことを繰り替えさない仕組みですから、自然と変容してくれます。 これが錬金術なのです。 もし、何度も同じことが繰り替えされているのなら、 まだ握っていたことに気付いて、受け入れて、手放しましょう。 お知らせの信号が送られているのです。 私たちは単一の目で観ることが出来るのです。

草に習う

以前、師が『草は植えずとも生える』と言われました。 これまで私たちは自分以外のもの、何か崇高な目標を 掲げ、努力することが素晴らしいという概念を持って生きてきました。 「本質の自分を喜んで生きていれば、自ずと芽が出て花も咲き、実が成る命のどおり」を教えていただいたように思います。 それは、自我が望む個人の繁栄ではないかもしれない。 全体が生き生きと循環してこそ、個も生かされていくことなのです。 あなたが目撃する全体が繁栄していくこと、それが創造主のイノリだったはず。 あるお方が「草という植物はない。一つ一つ名前がある。」という意味のことを おっしゃられたとTVで聞きました。 どのように小さく見える植物にも虫にも、みな同じ「いのち」が流れています。 そして、人間に草として、むしられる運命にあろうとも、そのいのちを全うしている 清々しさ、また勢いよく再生し、生えてくるたくましさに頭の下がる思いです。 少し前、「土から生まれたことを忘れたか?」と上からメッセ-ジがありました。 産土の神働きです。 「ああ、そうだった! 天から光が地に降りて、結びて命となったこと」を思い出した瞬間です。 この空間に満ちているいのちの光の流動は、分け隔てなく、天地の恵みを頂いて 「今、ここ」にあるのです。

同事ということ

神道もキリスト教も佛教も   宗教といわれる多くは、 かつての悟りを開いたと言われる方たちが   宇宙の創造の真理を伝えようとしたものであると言われています。   時代により、或いは宗祖により、歪曲されて伝わってしまったことも多くあるでしょう。 ただ、変わることのない真理も多く語られてもいます。 宇宙は進化発展し、拡大していくばかりです。 宇宙は、どこかにあるのではなく、 まさに『今、ここ』にあります 。 佛教  修證義  の中で   『同事』について記されています。   自にも佗にも不違なり   と。 私たちが何事かを行動し(発動し)佗にしていることは 、    同時に自が受容していること  なのです 。 海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水あつまりて海となるなり。   宇宙は無限です。そして『いつなるもの』です。   他者に発動したものは、同事に自らも受け取っているのです。 中心からの愛のエネルギーを発動すれば、相手の中心からも愛のエネルギーが返って きているということです。   同事なのだから。

あなたが意識をむけると・・・

私たちは、宇宙空間の中に(あるいは世間の中に)産み落とされたと思ってきました。   その思い込みを手放してください。     あなたの意識が最初にあって、その後にあなたの意識を向けたところに 物理的空間が開かれるのです。   あなたも私も「虚空」という自覚ある観察意識です。すべての中心です。   あなたが玄関をイメ-ジした時は、まず玄関の空間を広げて、そこに   靴棚や傘立ての空間を広げ、靴やサンダル、花の鉢の空間を広げています。   あなたという観察意識がなければ、現実空間は開かず、そこにいろいろ なものを配置させて存在させることは出来ないのです。   あなたが道路を歩いていた時、そこの角を左に曲がったら、今歩いてきた道路はまだ、そのまま存在していると思いますか?   ファジーになるのです。   人の数だけ意識があり、それぞれの意識がたくさんの現実空間を開いて遊んでいます。   ですから、あなたの見ている現実と他の人の見ている現実は、同じように見えても全く違います。   あなたの意識の向く方向に時間軸は伸びていき、現実創造のプロセスを 体験しています。   その場や空間を開くのはあなたなのです。