孤独について
スピリチュアルの勉強を始めた頃、他者と話をしても上面の雑音のような会話しか出来ない自分
に気づくことが多かったです。
「まこと」のことを放つことの出来ない自分への嫌悪とこれまでの人間関係から出ることの孤独感は、
とても大きかったと感じます。
その気づきを受け取ったことは、「宝」なのだから、そこから逃げずに取り組んで徐々に進化してきたように思います。
師いわく、孤独を感じるのは「感謝が足りないから」と、ご自分の経験を話してくれたことがあります。
言われたときは、意味もよくわかりませんでした。
「~しなければならない。」
「~してはならない。」
古いプログラムには、根気よく向かい合い
手放しをその都度していくことの中で、依存の人間関係の整理をしていくことになりました。
今もそれはやり続けています。
家族についても同様です。
「夫だから~。」「妻だから~。」「子供だから~。」
精神的な意味での自立した関係性を創り直すということ。
当然、個人を抱えていては出来ることではないので、
天地の力を授かり直した上で
「一旦これまでの関係性を切って、天意(愛)を通じてつながり直す」と意図します。
そして、どなたと話すときも、相手の光に向かって放つようにしています。
今は、以前のような人間関係から出て、一人あることが多くても寂しさはなくなりました。
なぜなら、空間に抱かれている感覚、庭に出れば、木や石たちがことばなき、言葉を放ち、
見つめられている、そんな感覚を受け取ります。
師が「感謝が足りないからです。」と教えてくれたことが、今、よくわかります。
心からの感謝が起きるとき、私も光、見える全てが光ですから、光どうしが会話し始めるのです。
同調する、共振するということ。だって、すべては波動なのですから。
それから、もう一つ
師曰く、
「虚空をよすがとして生きなさい。」
かけがえのないプレゼントをいただいたと感じました。
みなさまも、どうぞ、ご自分の最奥に控えてすべてを見守ってくれている、創造の源を道しるべとして
いのち輝かせて生きましょう。
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