草に習う
以前、師が『草は植えずとも生える』と言われました。
これまで私たちは自分以外のもの、何か崇高な目標を
掲げ、努力することが素晴らしいという概念を持って生きてきました。
「本質の自分を喜んで生きていれば、自ずと芽が出て花も咲き、実が成る命のどおり」を教えていただいたように思います。
それは、自我が望む個人の繁栄ではないかもしれない。
全体が生き生きと循環してこそ、個も生かされていくことなのです。
あなたが目撃する全体が繁栄していくこと、それが創造主のイノリだったはず。
あるお方が「草という植物はない。一つ一つ名前がある。」という意味のことを
おっしゃられたとTVで聞きました。
どのように小さく見える植物にも虫にも、みな同じ「いのち」が流れています。
そして、人間に草として、むしられる運命にあろうとも、そのいのちを全うしている
清々しさ、また勢いよく再生し、生えてくるたくましさに頭の下がる思いです。
少し前、「土から生まれたことを忘れたか?」と上からメッセ-ジがありました。
産土の神働きです。
「ああ、そうだった!
天から光が地に降りて、結びて命となったこと」を思い出した瞬間です。
この空間に満ちているいのちの光の流動は、分け隔てなく、天地の恵みを頂いて
「今、ここ」にあるのです。
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