同事ということ

神道もキリスト教も佛教も
 
宗教といわれる多くは、
かつての悟りを開いたと言われる方たちが
 
宇宙の創造の真理を伝えようとしたものであると言われています。
 
時代により、或いは宗祖により、歪曲されて伝わってしまったことも多くあるでしょう。

ただ、変わることのない真理も多く語られてもいます。


宇宙は進化発展し、拡大していくばかりです。
宇宙は、どこかにあるのではなく、まさに『今、ここ』にあります

佛教  修證義  の中で   『同事』について記されています。
 
自にも佗にも不違なり  と。

私たちが何事かを行動し(発動し)佗にしていることは、 
 
同時に自が受容していること  なのです

海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水あつまりて海となるなり。
 
宇宙は無限です。そして『いつなるもの』です。
 
他者に発動したものは、同事に自らも受け取っているのです。

中心からの愛のエネルギーを発動すれば、相手の中心からも愛のエネルギーが返ってきているということです。
 
同事なのだから。

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