余白

 


録画していたeテレの「美の壺」を

観ていたら、水墨画の世界を伝えていた。


真っ白な紙と黒い墨で描く世界である。


「余白の空間を描きたかったから、

松を描いた」と伝えていた。


本当は、その空間は

「余白」などではなく、

主役なのだ。


私たちは、何も無いかに観える

素の空間(無の空間)に

無限が畳み込まれていることを

本能的に知っている。


その表現が横柄なようなら、

別の言い方をすると

肌で感じている。



何も無いかに観える

静かさだけが住まう場に

まぶたを降ろして座っていると


呼吸だけがあることに気付く。


満ち満ちた天意だけがある。


あなた「が」

呼吸しているのではない。


あなたの中を光(創造主の)

呼吸が巡ってくれている。



ホラ!

思い出したでしょ!


私たちは、

エネルギーそのもの。


私たちは流動するアイ(天意)の

エネルギーそのものなの。





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