習慣というエネルギー
これまで
「習慣」というエネルギーを
使って多くの物事を運んできた。
年の暮れには「お歳暮」として
お盆には「お中元」として
お世話になった方への感謝の気持ちを
表したはずなのに。
「習慣」というエネルギーで
「ねばならぬ」という
古いエネルギーで
形だけのもの
にするようになっていないでしょうか。
本来の意味に戻るなら、
内なる空間で
ただ、ただ、
相手に感謝と祝福を贈っても
「お歳暮」や「お中元」の役割は
果たすはずでした。
あるいは、
金額や体裁にとらわれずに
差し上げたいものを
差し上げたいときに
差し上げるでも
良かったのではありませんか?
何処までも、
本来の意味(天意)に
立ち返り、
行動(荒魂の発動)に移したいものです。
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