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カラダの声は

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 カラダの声は とても静かで細やかに発している。 感じようとしなければ、わからない。 何かにホーカスしていると カラダの声が聞こえない。 痛みや違和感となって初めて気づく。 「ごめんなさい!」 「悲鳴をあげていたのね。」と。 カラダは 毎旬純粋無垢な光の粒子で 生まれ変わっている。 過去を持ち込まず、 中今に居る。 創造主の呼吸に 寄り添わせて頂くことで カラダは息を吹き返す。 ありがたみを忘れないように、と つくづく感じるこの頃である。

中今を生きる

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 今年は お陰様で素晴らしい紙芝居師の皆様や 場作りを沢山見せて頂きました。 同時に 「私はそこまで行けていない」という 自己卑下の思いも上がって来ました。 カラダを固くする縮むエネルギーです。 (個人的上昇思考もエゴなのです) 自己卑下も個人的上昇思考も表裏一体なのです。 中心に戻り、本来の魂に重なり 問うて見ると 紙芝居を作りたい!と思ったのは 「内側から湧き上がる思い」を 伝えたかったから。 何かになりたい訳ではなく、 「みんな!内宇宙にしあわせがあるんだよ」 と 言いたかったから。 カラダに力みが起こるのを 観察して 「違うなあ!」と 思うこの頃です。 光(魂)が強まったからこそ そうではないものが観えてくるのです。 中今の自分に立ち返り、ハートの最奥に 「出て来てくれてありがとう」と受け入れて 行くと光に還ることが出来ます。 天意へと変容するのです。 中今を生きる!ことは 120%のしあわせを生きること。 何者でもない 純粋無垢な光の粒子そのものとして (天意の通り道に成りきって) ちくわの様になって 呼吸によって天の意を地に降ろす それだけ。 余計なものは 不純物が付いているから ストレートに魂には伝わらない。 純粋無垢な光の存在として 穏やかに 授かった命の歓びを 広げ続けよう〜。 ホラ! 内にも外にも無の空間が 両手を広げて 溶けいる瞬間を待っているから。

エネルギーは

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 エネルギーは差し上げられません。 よく元気を貰った!と言いますが、 そのような外からのエネルギーは、 簡単に消えます。 偽りです。 元氣は、 内宇宙から湧き上がるもの。 そして エネルギーを他者に 与えることなど出来ないのです。 出来るのは、 自分の内側を感謝や敬い、祝福で 満たし、常に巡らせていることだけです。 その中心の(中今の)エネルギーに  共振して頂くことです。 思考を手放し、 或いは一体化せず、 流れて行くのをただみる プレゼンス状態でいることをし続けるとき 真の悟りの状態にあるのです。 中今にいるのです。 そこから 調和したエネルギー状態で 祈りの状態で生きることが ワンネスなのです。

天意は認め敬うこと

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  29日から名古屋に 紙芝居のイベントを観にきている。 街頭紙芝居のキャリアを積んだ皆様の 素晴らしいパフォーマンスだ。 自分を解放している感もある。 ストーリーもなんでもあり。 古典をパロディに仕立てたもの 紙芝居と言うより、 ほぼパフォーマンスを魅せて貰った観 のもの、 とにかく参加型 ホッコリした紙芝居が観たかった私は 優勝した方の動く紙芝居が推しとなった。 今月は 大阪の手づくり紙芝居館に行き、 このイベントも観れたこと 感謝が溢れてくる。 魂から生きる!と決めた私 ヨシ!とみとめよう。 どのような事や者も 認め敬うことでのみ 魂は復活するのだから。 天意なのだから。

中今

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 中今は、ことばを変えると ゼロポイントフィールド、或いは空(くう)。 すべての次元が畳み込まれて存在し、 体験し終わっている、静寂な空間。 なにも無いかに観えるが すべてある、エネルギーが満ち満ちて 「いつでもカタチをとりますよ」と 光の粒子がスタンバイの状態。 意図が立ち、アマテラスの承認を  受けたなら 直ぐにカタチをとる。 そこに 意識を置いて 純粋無垢な光の粒子のまま 時空間を受け入れて体験して行こう。 天の意図を地に降ろすのが 私たちの喜びだから。

ただそうである

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 これまで培ってきた概念で 大変な事が起きた!とか 不幸な事が起きた!とか 「ただそうである!」を 色眼鏡で観て、 感情反応を繰り返した私たち。 それは4次元に幽閉された 轍の輪廻に過ぎない。 「ただそうである!」ことへの その体験への感謝と敬いをせず、 縮みのエネルギーを拡げるならば、 今地球が次元上昇しようとすることへの 反逆である。 私たちは、 この大変革のときを選んで生まれて来た。 それが 許可されたのは 全ての中心柱となって 高次波動を拡げるお手伝いを するため。 地球のアセンションを手助けする それだけが目的。 中今に意識を置いて 素の何者でもないアイに居るとき 本来の輝きが内宇宙から現れてくるのだから。

純粋無垢な光の存在として

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 純粋無垢な光の存在として生きる 個人ではなく、 如何様にも変容出来る 何者でもなきものとして生きる。 魂に沿って アイ(敬い、感謝、祝福)を発動し続ける ものとして 中今を生きる。